『納得できない…』


【No 0016】 [2005年02月11日(金) 01時41分36秒]

非行に走るきっかけは、人それぞれに様々な理由があります。
その理由を詳細に聞いたところで、理解することは不可能です。
本人にも「これが理由です」と言えるものが無いからかもしれません。
人にはその人だけの時間が流れていますし、誰しも一分一秒何を考え何をしていたかなど言えるわけもありません。
でも、過ぎていく時間をちゃんと自分自身に受け入れていたならば、足下には片づいているはず。
でも、自分自身受け入れたくない出来事ばかりだと、片づかない思いが足下に積み上がり、
ある日ふとしたきっかけで崩れてしまいます。
そのふとしたきっかけだけを取り上げ「理由」と言う場合が大半ですから、聞く方ばかりではなく、
問われた本人もしっくりこないのかもしれません。

本当に悲しいのは、本人にすら受け入れて貰えなかった、その人の見捨てられた時間です。
その時間の中にその人成り立ちがいっぱい詰まっているのですから、どんな小さな時間でも
要らない時間なんて一つもないのです。
時間はその人そのものといえるかも知れません。
以前、臨床心理を囓ったとき、もののたとえですが「クライアントが完治する期間は、
その人がそのようになった経緯の時間が必要」と言うような事を言われました。
一年でそうなったのなら一年、10年なら10年間を要すると言うことです。
確かにそうかも知れません。
今の自分を構築している上で、不必要な時間はありません。一瞬一瞬が自分です。
でも、バラバラになったパズルピースを上手い具合にかき集められる場合だってあるのです。
なので、上記はクライアントに向かう側の戒め的、心構えと思って下さい。

自分で受け入れられなかった時間に起こした出来事(事件)ですから、
まるで他人事のように口にする子供が多いのは当たり前かもしれません。
自分を受け入れる事すら辛いのです。
更生って、その全て、自分で受け入れていない上で引き起こした事件の後悔まで背負わなければならないのです。

一番始めに、「非行に走るきっかけは、人それぞれに様々な理由があります」と書きました。
でも最近、しっくりなじむというか、わりと一言で言い表せるかもしれない言葉を思い出しました。
『納得できなかった』
「納得」=「他人の考え・行為を理解し、もっともだと認めること」
人の考えることや、やっていることを受け入れられない、納得していない。
自分の置かれている状況が受け入れられない。
子供は、(大人も)何か自分の内に収めきれない出来事に出会ったとき非行に走るようです。
自分のことであるに自分の中に収まらない辛さ、
自分のことなのに他人事のように感じ、自分が自分に感じる疎外感。
そして、それを言葉で表せない歯がゆさ…。
辛いでしょう。
そんな思いに大人はどう向き合えば良いのでしょう。
とにかく一つ一つ、納まりきらず散らかった時間を引き出しになおしていくほかありません。
言い訳ではなく、とことん事訳を。
子供に言い聞かせるのではなく、その訳を整然と説明します。
納得できるまで、せめて納得できるかもしれない方法が見つかるまで。
大人には出来る、とは言いません。
でも、そうしようと努力する責任は間違いなくあるのです。

子供の頃、親の小言を聞いていた時を思い出して下さい。
一言一言を「そうだな〜」ってふんふん納得して聞いていましたか?
親の言うことはもっともで、叱られているのも分かるけど、
意外と納得はしていなかったのではないでしょうか?(笑)
親の小言とは、得てして自分の気が済む方向へと進むようです。
自分の気が済んで物事が解決することはほとんどありません、なのでそれで人が変わることはありません。
自分の気が済んで相手が納得したと勘違いしないで、子供が自分で納得するまでつき合って下さい。