『こころが見せるもの』

【No 0018】 [2005年05月15日(日) 14時30分09秒]

“こころ”という形のないものを見ようとするとき、顔にある目ではなく、やはりこころの目で見ると言うことになります。
難しいことを言うなぁ〜と思わないでくださいね。
普段の生活の中でも心の目でしか見られないものって沢山あるのですから。
たとえば「地球は丸い」。・・・自分の目で見た人は少ないですよね。
それって、与えられたデータを信じてるだけです。
自分で見て知ったように思っているけど、実際は教えられただけ。
ハッキリ言って世の中「知識」の大半は人に聞いた話で出来ています。
まして宇宙の広さなんて言わずもがな。
輝く星の向こうにまだ星があるということも、深く暗い海の底にも命の営みがあるということも、自分で発見したわけでもなんでもないのです。
それでもふと夜空を見上げ、何億光年離れた星々に思いをはせて心がキュッとなった事ってありませんか?
同じ人間が分け与えてくれた知識を、心から信じているから。
それに想像力という心の力があるから。
想像力があるからこそ、果てしもなく広い宇宙を実感として納得し感動する。
それがこころの役割、「こころを鍛えないと知識もただのデータ」、そこからは何一つ生まれはしないのです。

さてそこで問題です、心を鍛えるってどうすればいいのでしょう?
BBS活動においても「心のケア」という部分は切っても切れないわけで、人の心に寄り添うためにはまず自分の心がヘロヘロでは話になりません。
それこそ鍛える必要があります。
身体を鍛える事と同じように、ともするとこころを鍛える訓練もとてもハードな修行が必要そうに思われがちです。
滝に打たれたりとか…座禅を組んだりとか…。
確かにこころと向き合うには、生きていくために必要ではない行為が効果的。
しかし、自分の心と向き合う事と、人の心受け取るアンテナ感度を向上させることとはまた少し方向性かが違います。
カウンセリングにおいて話を聴くと言うことは、「自己を保ったままでクライアントのこころを我が事のように感じる事」。
難しそうですか?
たしかに難しいです。
心が疲れている人は普通の人の何倍も心が敏感になっていて、いくら上手に上辺で頷いても通用はしません。
では、難しそう…と思ってくれた人に特別に教えましょう。
たとえば映画を見て笑ったり泣いたりしたことがありませんか?
自分のことではない話に感情移入し、自然に喜怒哀楽があふれ出た事。
作り物のストーリーで、今ここにはない事で、人は心の琴線に触れるだけで涙が出るのです。
これがこころの訓練だと言うわけではありません。
普段の生活でにおいて、こころのメーターが激しく振り切ることはあまりないため、感度が鈍くなっている可能性があるのです。
だからこころの針を動かすストレッチの意味で、良い映画や本に出会うことが一つの方法だと言うことです。
映画を見て泣けると言うことは、その感情が自分の中にもあると言うこと。
人間であるという事の根本的なコモンセンス。
現実ではない作り物の出来事であっても、自分の中に見つけた感情は紛れもない現実。
自分のことのように・・・。
カウンセリングと似ています。


先日久々にBBS活動の定例会を覗かせていただきました。
毎回こうして書かせていただいているのに、最近の活動内容を知らないのもなぁ…と思ったから。
とりあえず、「何してるんだろう?と思ったら会いに行く」それが私♪
昼食を一緒にとりながら、ふと会員に方に質問をしてみました。
「今まで見た映画の中で一番感動したのは何?」
もちろん答えは、みんなそれぞれに違っていてそれぞれ素晴らしい映画でした。
皆さんも機会があったら家族や友人と話し合ってみてください。
同じ映画でも、感動した部分が違ったりして楽しいですよ。
自分のことをあれこれ表現する機会はあまりなかったりするけど、あっ、この人はこういうところに心を動かされる人なんだって
わかったりして。
そういえば最近デートで映画やお芝居見に行ってる?