「言葉のクオリティ−」

【No 0002】 [2003年08月18日(月) 08時16分31秒]

心にクオリティ−は無いと思います。
自分の中の自分だけの思いですから。
でも、誰かとコミュニケーションをとるための手段である言葉は、相手に受け取ってもらう物である以上、
良し悪し、質(クオリティー)が求められてきます。
「言葉のクオリティー」デス、マス、口調で丁寧に話せば高クオリティーなのかといえば、
そうじゃないところがややこしいのです。

以前から『子供と対話する時間を持とう』というスローガンをよく耳にします。
コレだってただダラダラと喋る時間を持てばいいというものじゃない事はもうおわかりですよね。
でも実際、親が喋れば説教になり、子供に喋らせようとすると尋問になっている、そんな事をよく耳にします。
でも、親は子供を知りたいし、子供を理解しようと努力します。
それは子を思う親であれば誰でも持っているものです。
けれど考えてみてください、その気持ちは親だけのものでしょうか?
子供もきっと同じ気持ちのはずですよ。
親を知りたい、理解したい、愛されていると確信したい、そう思っています。
そんな不安は親より大きいはずなんです。
親が生きてきた年数より、子供達はまだまだ人間をやり初めて日の浅い人間初心者なのですから。

さて、いくら互いの気持ちをわかろうとしても、本人でない限り100%知り得ることは不可能です。
その上「知ったような」「わかったような」思いこみが一番いけないのも、もうご承知の通りです。
ではどうすれば?
ほら、段々わかってきたような気がしませんか?
相手の気持ちがわからないから不安になる。
相手の気持ちを探ろうとしていらんことまで言ったりしたりしてしまう。
でも、自分の気持ちならわかるんです。
自分の気持ちを相手に伝えることが出来れば、相手が安心します。
「子供と対話」と言いながら、子供のためではなく自分を安心させたいために会話をするからおかしくなるんですね。
そう、自分を安心させるために子供を使っちゃ駄目なんです。
先に子供を安心させてあげましょう。

先日、テレビで脱サラをして田舎に行った家族の事が放送されていました。
その家族のお父さんが「ああっ、いい雨だなぁ・・・」って、窓を開けてとても素敵な笑顔でつぶやいたんです。
きっとサラリーマンの頃は通勤で不快な思いしかしなかった雨でしょうに・・・。
そのお父さんの顔を、子供達が見上げています。
雨は大事なんだと教えられるより、
雨に生かされていると感じる事の出来る父の言葉と笑顔だったろうと思いました。

なにも膝をつき合わせて話し合う必要は無いのかもしれません。
日常生活で心動かされた何気ない出来事、それを自分だけのことにするのではなく、
言葉にして伝える小さな努力。
それに笑顔が含まれていれば、子供は安心し、落ち着いた気持ちになれるのだとおもいます。
ただし子供は敏感です、親が本当にそう思っているか見ぬいてしまうので、
作ることなく本当に感じたことを伝えてください。
人も、他の生き物も水も空気も、すべてが環境です。
自然な形でいつも子供のそばにいる、そんないい環境で居てあげてください。


では次回は「見えないものを見る努力」です。
『大切なことは目に見えない』って星の王子が言ってたけど、
見えないから気づかないんじゃなく、見ようとしないから見ないのかも。
あなたの見よう、見せようとする努力は足りていますか?