『大人ですから』

【No 0014】 [2004年10月10日(日) 23時21分19秒]

私は日常生活で息詰まると、よく人間とは無縁の生き物を見に行きます。
動物園ではなく水族館が多いのは、人とは無縁な「生きて生き残す」という
大前提が実感できる生き物たちが多いからです。
生き物って本来「生きて生き残す」って事を一番に考えるはずなんですが、人間は何故か
生きている事で生じる出来事が原因で、生きることをやめてしまう事すらある不思議な生き物です。
生き物が生き物であるためには、一番に生きている事。
人間はそんな単純な優先順位を忘れるのですね。
同じ人間どうしだと自分だけではなく相手も忘るている可能性があるので、
たまには人間以外の生き物にそれを思い出させて貰うのです。
ただ生きる、生き残すという事に必死な姿を見ると、私って何やってるんだろう…って自分にまとわりついた
不必要な思いに気づかされます。
帰る頃には要らないモノがポロポロと落ちて体が軽くなるような、そんな気分。
人が勉強する場所は?と聞かれれば「学校」と答えるかもしれないけど、自分を育てたり、学んだり、
気づいたりする場所は、自分の心を開けて素直になれる場所。
私の場合はそんな場所に「水族館」があると言うことです。
 不思議な書き出しになりましたが、ストレスというものが人を追いつめたりするのは、
必要以上の大義名分に必死で応えようとするから。
そうじゃないですか?
「重いよね…」とか「軽くなった」とか、体重ではなく気持ちの事をそう言います。
あなたも不必要なモノを色々くっつけすぎなのではないですか?
シンプルで良いはず、そう思うことが近年とても多くなってきたので書いてみました。
スッと肩の力が抜ける場所、あなたはそんな場所をいくつ持っていますか?

さて今回、私がふと気づいたことなんですけど、管理人さんがテレビニュースで
『シリーズ壊れる少年』というのがあると掲示板に投稿してくれていました。
時間が無くて番組は見られませんでしたが、この「壊れる…」という言葉がどうも
居心地がよくなくて気になっていました。
話は変わりますが、私が某焼き物の窯元のお宅に遊びに行ったときの事です。
ポンと私に500万円の抹茶碗を持たせた窯元は「それは絶対割れないから」と言いました。
私がドギマギしつつ茶碗を見ていると「割るのはあなたです」と笑ったのでした。
茶碗は割れないという現実に納得安堵しつつ、その手の中にあるものへの責任感に
背筋が伸びた記憶があります。
そんな記憶と、水谷先生の「悪い子供は一人も居ない、悪いのはみんな大人」という言葉が
頭の中でクルクルと回っていました。
子供はモノではない。
自分で壊れる事を選ぶ事が出来る生き物。
でも、壊れたくて壊れた訳じゃない。
そうするしかしかたがなかっただけです。
そして大人には彼らを壊さないように包み込む両手を持つ責任があります。
せいぜい100年足らずの寿命しかない生き物にとって子供は未来そのものです。
その子達が間違った電車に乗ってしまったのなら、乗り換えるためのプラットホームを教える責任があります。
未来は変えられます。
そのために大人は沢山経験を積んで生きているのですから。

子供のためにいい大人でいるために、いつも良いコンディションでいるために、
やっぱり自分を見つめ直す事と今の自分を知ることは心がけていたいと思います。
なんて、今回は自分の水族館好きを言い訳するようなカキコだったかも…。
でもね、自分の「好き」をきちんと説明できるのも大人のたしなみですから。(^_^;)

次回って言うか、もう一つ気になっていることがありますので近いうちに「人権って」に関して書きたいと思います。