2004/9・2〜5


「炭山さん、調子はどうですか?」と聞くと
「今年の目標は完走だから」と、私が北海道まで追いかけてきた選手は言いました。
アレ?チョット拍子抜けな決意表明かも…と、そのときは感じていました。
レースが終わり、洗車サービスでピカピカになった車で彼が誇らしく出て行くまでは。

昨年の12月に大阪で行われた『SUBARUスポーツ・ミーティング』で始めてラリーの片鱗、
ラリーカーという物を間近に見ました。
「車ってこんなに面白いものなんだ…」
F1や二輪のレースを見に行っても全く感じなかった感動を感じた私。
そのスーパーSSで、自分的にとても惹かれる走りの車があり、その車から降りてきたのが「炭山裕矢」選手でした。
その後日本でWRCのラリーが開催される事を知り、本当のラリーを見てみたい、彼を走りを見てみたいと思い、
とうとう私も北海道観戦を決意いたしました!
たかが見に行くのに何ほどの決意が?とお思いでしょうが、私がラリーを見に行くと言うだけで
周囲の驚きはハンパではありませんでした。
なにせ私は自他共に認めるスーパーインドア派。
私がズボンをはいているところは誰も見たことがなく、外に出るときは日傘が必需品。
のどが弱いので土埃などはもってのほか、砂浜を10メートル歩くと熱を出す。
そんな人間がラリーを見に行くと言い出すなんて考えられない事態なんです。
でも、好きって思いは根性以上にハードルを超えさせてくれるパワーがあります。
それも笑顔で。
ラリー開催中、朝は3時に起き、一日中お日様の下で土埃の中を歩き、バスに揺られヘトヘトになっても愚痴一つ言わず
体調も崩さず最終日まで持ちこたえました。

ラリー開催期間中、林道・スーパーSS・リエゾンと黒いスバルを追いかけて過ごし、
最終日、サービスパークでメカニックさん達が居る前で、黙って炭山車が帰ってくるのを待っていました。
が…このまま黙って立っているだけではただの怪しい女…って言うかストーカー?
と言うことで、思い切ってメカニックのお兄さんに声をかけました。
「あ、あの…炭山裕矢さんのファンなんですが……」
「そうですか、ありがとうございます♪」ハンサムなお兄さんは炭山車が何時に
洗車サービスに戻ってくるか教えて下さり、その時間に戻ると、No43の柳澤さんの車が帰っていました。
ラリーは終わってみると、No.43柳澤選手はグループN6位入賞(総合15位)、
No.44炭山選手はグループN7位(総合16位)で完走。
過酷なグラベルを走りきった車はサービスクルーの手でピカピカに磨き上げられ、
メカニック、ご近所チームの皆さんやギャラリー全員の拍手で送り出されます。
この光景を始めて見た私は、とても胸が熱くなりました。
普段の生活の中で何かをやり終え、拍手で送り出される光景なんてついぞ見ることが出来無いからかもしれません。
6位入賞の誇らしさも相まって晴れやかに出ていく柳澤車。
「そっか…、完走ってこういう事なんだ…」
拍手で見送り、私はワクワクしながら目標を成し遂げて帰ってくる炭山車を待ちます。
程なく戻ってきた炭山選手は、車を降りたとたんハグハグして貰っています。
(すみません、私にもお願いします!…と心の中でつぶやきながら)
炭山選手がラリー後のインタビューを受けているのを待ちます。
終わると満面の笑みで炭山さんが近づいて来てくれました。
どうしよう!自分でも不思議なくらい嬉しくてしかたが無くなっています。
「おめでとうございます♪」
そんな言葉が真っ先に口をつきます。
そりゃあ見る方も過酷だけど、実際走っている選手はどれだけ過酷なんだか私には計り知れません。
でも、そうやって走れる、というかドライバーを走らせてくれるのはメカニックさんの力があってのこと。
話の途中で炭山さんが「ミッションが壊れて…」と、抑揚無く言っていたのだけど、
後から知ったのは、このミッション交換は柳沢車のドライブシャフト交換と同時作業で、
それをチームのメカニックさんはなんと33分で成し遂げたのだそうです。
凄いチームなんだ…。
う〜ん、見たかったなぁ…。次回はずっとココに張り付いていようか…って、壊れちゃ
ダメなんですよね。 見られない方が良いんだけど、でも、見てみたくなっちゃいました。
炭山選手と話をさせて貰っているあいだに、車はこれでもか!って言うくらい
ピカピカに磨き上げられ、ドライバーが戻ってくるのを待つ状態に。
本当はサインとかして貰いたかったのだけど、ペンもノートもカメラまでもペター・ソルベルグを
を見に行ったまま戻ってくれなくなった相方が所持していたため、言い出せませんでした。
すると「コレにサインしてあげなさい!」と、もう一人のハンサムなメカニックのお兄さんが
サービスの人が首にかけているパスを手渡して下さったのです。
凄く嬉しい!!!
それにサインをして貰い、炭山選手にパフッ!と握手をして頂き、
「また次も必ず応援に来ます♪」と約束して拍手で車を送り出しました。
お世話になったメカニックさんにも一礼してサービスパークを後にしたときは泣きそうなほど感動していました。
ラリーってこんなのだったのですね。
ラリーっていいですね♪好きなチームを応援できるっていいですね♪
「応援グッズって何かないですか?」って炭山選手に聞いたら、「社長に作ってって言って下さい」って言ってたから、
とりあえず次回は手作りでナンゾ作っていくことにします。
まだ初心者だけど、これからも「クスコ・レーシングチーム」の応援頑張りま〜す♪



「クスコ・レーシング」
2003年の「SUBARU・
スポーツミーティング」で
炭山裕矢さんを見て
ファンになりました。
勿論今回は炭山さんを
応援するため北海道へ♪

ドライバー・炭山裕矢
コ・ドライバー・星野元
ジュディーが応援するのは、
このお二人の乗る
No44の車で〜す。
炭山さ〜ん♪
!(^^)!
林道・スーパーSS・
サービスパーク・リエゾンと、
ずっと「クスコ・レーシング」の
車を追いかけます。リエゾンで
恥ずかしがっていては、
選手に気が付いて貰えない
ことを学習しました。

「セレモニアルスタート」
頑張って下さ〜い!

No43 ドライバー・柳澤宏至
コ・ドライバー・美細津正

ズギャャ…!
ステキ♪

林道は疲れました。
でも、幸せ♪
最終日には炭山選手に
パスへサインをして
頂きました。
(このとき、カメラも
サインペンも持ってなくて、
あきらめていたので
嬉しかったです。
でも、写真も撮りたかった。

ほ〜ら、宝物です♪

ホテルの駐車場に
まるでタクシーのように
停まっていた
トミ・マキネンの0カー。

ほらほら、
群馬ナンバー。(^O^)

誰も居ない、柵もない。
で、誰も見てない…。

何故か写真うつしそそくさと
その場をさりました。(^_^;)






「セレモニアルスタート」ステッカーを配ったらしい。
私の前を通過したときにすでに何もなかった…。(T_T)
初めての体験♪すごい群衆とその熱気!よほどのことをしないと気づいてなど貰えません。


タイムコントロールでの炭山選手・・・の後頭部。
炭山選手、髪染めましたね。



この表情、私的にはすごく好きなんですけど、はたして
ネット上に出して良い物かどうか…。(-_-;)
私が炭山選手を知ったのが1年前。
でも、炭山選手は19歳ころから本格的にレースを始めたので
ネット上には少し若い頃の写真もたくさんあります。
私的見解ですが、
充実した年月を重ねておられるのか、今のお顔が一番ハンサムです♪
なので、一年先、二年先の炭山選手の方が
きっと今以上にパワーアップしてステキに輝いているでしょうね。


 
ここで少しお話をさせて頂きました♪
炭山選手はとても優しいしゃべり方をされます♪ステキな笑顔、でもまだレースは始まったばかり、
レースが終わった後の最高の笑顔までもう一頑張りです。



でも、コッチ向いてくれな〜い。
・・・って言うか、写真のタイミング悪すぎ?(^^;)
炭山選手、スイッチが入っていない運転の時は、いつも手がココにあります。
落ちてくるのか?…と思うぐらい、屋根支えてます。


 
ラリーって私が思っていた以上にハードなスポーツのようです。
炭山選手、けっこう食べそうなので、食事とか作るサービス隊に入りたいな〜。



リエゾン挑戦1日目。
一生懸命手を振ったけど気づいて貰えませんでした。(T_T)
このとき炭山選手は反対側にあった食べ物の屋台に気をとられていたのかもしれません。


翌日。
リエゾン敗者の私は復活戦に燃えました!!
坂を下り込んだ後に延々と直線が続く道、そしてギャラリーも少ない。
ココしかない!ココなら否が応でも気づいてくれるに違いない!
わ〜い、気づいてくれました♪
炭山車が通ったらすぐ撤収、次のSSに向かいます。



スバルの雑誌に「リエゾンで幼稚園の子供にステッカーあげている炭山選手」って
写真が載ってました♪↓

「将来、ラリー選手にならない?」って、勧誘中かもしれません。

 
ここのSSはすごく綺麗でした。緑にラリーカーがとても映えてワクワクとドキドキ以上に
何か心がキュ〜ッ!とした光景でした。
選手の人って景色は見ていらっしゃるのでしょうか?やっぱり路面ばかりなのかな?
…で、コ・ドライバーの星野さんはペースノートばかり?

 
早いです♪デジカメの連写で追いかけるのか精一杯。 ビデオが必要だと痛感しました・・・・。

 
SSSは夜も昼も見たけど、やっはりはっきり見えるのは昼間ですね。
でも、キャロッセ車のライトポッドも見たい。


 
なにやら談笑中?

 
炭山選手、星野選手どうもお疲れ様でした。


車もお疲れ様♪ 
今回とても大変な作業がありましたものね。
そういえばネット上でこういう書き込みを発見。
『すごかったのがキャロッセのミッション交換34分は感動しました
20分+TCインが15分すぎるとタイムアウトでリタイヤ
キャの監督の話だと今までの最速45分 多分無理だろーなと
5人のメカの動きはすさまじくタイムアウト ギリの1分前で見事エンジン始動!!
いやーお見事でした
チーフメカの石原は終了後ただただ泣いて身動きできず
東京スバルのメカやスバルJAPANのメカも拍手喝采
ラリーはアスリート達の祭典ですな』

キャロッセのHPでも紹介されていたけど、ほんとうに凄かったのですね。
この場にいられた人が羨ましいです。
メカニックの皆様、本当にお疲れ様でした。
凄い上に優しくてハンサム♪(^-^)そりゃ〜ファンにもなりますって♪

「2004年・ラリージャパンに思うこと」

最初、車って環境破壊というか、あの北海道の大自然に似つかわしくないのかも?と
思っていた部分がありました。
でも実際その場に行くと、そんな感覚などみじんも感じることはありませんでした。
ラリーカーが走る道もグラベル(未舗装)のままで、このイベントがあるからと言って
アスファルトを引くわけでもなく、多少の騒々しさも年に一度のお祭りという
感覚だったろうと思われます。
駐車場に立っているボランティア?の子達(高校生ぐらい)の
実に礼儀正しくきびきび動くこと!
一つのことを成功させようと言う真摯な態度には感動ものでした。
こんな暖かい雰囲気のラリージャパンがいつまでも続くと嬉しいな。
人がいっぱい来るから歩きやすい道を提供して、
快適な観戦場所を整地して・・・そんなことを始めたら
きっとこのラリーもダメになってしまうような気がします。
このときばかりは土と草にまみれ、そういう場所に受け入れて貰う感覚を楽しみ、
車の轍以外には何も残さずこの場を後にする。
また来年も同じ姿の自然に迎えて貰いたいから。
不便なところは人同士が努力すればどうにでもなるものです。
願わくば変な人が出てきて「もっと便利にしよう」なんて考えない事を願うばかりです。



「ラリージャパンで泊まる」

初めての『ラリー・ジャパン』開催と言うことで、宿泊施設はどこも早くから
満室状態のようでした。
私たちもどこが良いのか分からないので、今後のためにもラリー期間中
タイプの違う宿泊施設を2カ所とってみました。

2004年9月2日〜3日
『北海道ホテル』泊。
ラリー関係者のオープニングパーティーが開かれたホテルで、スバルチームと
シトロエンチームが滞在していました。
ロビーではサインツやロープ、勿論ぺター・ソルベルグなんかが当たり前に
ウロウロしていたらしいです。
でも私はクスコチームがどこに泊まっているのかの方が気になっていました。
なので夕食は外に出ようと言われホイホイついて行ったけど、誘った相方は
ホテルのロビーでウロウロしていれば良かったと後で後悔していました。
良い感じのホテルで朝食も美味しかったので、来年もココにしようと思います。

2004年9月3日〜5日『ナイタイ高原温泉・亀の子荘』泊。
バスのアクセスポイントに近いとかでコチラの上士幌のお宿をとりました。
私たちで3時起きでしたが、帯広市内に宿泊されていた方は1時に起きた方も
いらっしゃったとか…。 
起きたって言うか、寝てないよね。^^;
お宿は民宿みたいな感じ、ボランティアをしていたときによく泊まった
研修施設を思い出しました。
亀好きな私には館内至る所カメだらけでチョッとウハウハものです。
本物の「スッポンモドキ」君も居たし、池ではザリガニ釣りも楽しめます。
チョッとここも捨てがたい魅力が…。

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ラリーが終わり、翌日からはチョッと観光をして帰るつもりで
札幌のシティーホテルと小樽のレトロホテルに宿泊しました。
それで7日に帰るつもりだったのですが、なんと台風が関西空港を
直撃したため千歳に一日足止めされる事に!
とりあえず我が家の頼れるツアーデスクに緊急電話をし宿を確保して頂きました。
泊まったホテルはフツーのお部屋がいっぱいという事で
特別に泊まらせて頂いたお部屋。
今回の旅の話を友人達にしても、ラリーの話ではなく、この宿の話が
一番受けまくられました。(-_-;)
確かに自分自身でも大笑いしましたけどね。
よかったら見て下さい。→


バックします。