『食う・見る・触れる』


今から30年程前の水族館はジメジメとしていました。
ココには水があるんだ〜!って、妙な実感ができたものでした。
以降アクリル技術等の飛躍的な進歩により、
水族館は、美術館やホテルのように美しく、そして巨大になりました。
上から直接覗き込んだりする水槽も、結露が付いてどこか海の
岩場そのもののような水槽も、いつしか無くなってしまいました。
美しく壁材で塗装された壁面には、大きなアクリルが穿ち、
その様子はまるで一枚の絵画や映画のスクリ−ン、はたまた
劇場の舞台そのものです。
アクリルに隔てられた向こう側は極寒や熱帯の水温なのに、
見ている側は空調の行き届いた絨毯の上。
キャプションに書かれている文字と、巧みな展示表現だけを頼りに、
想像を働かせます。

それが良い悪いは別にして、現在の水族館は人間の五感の中の
「視覚」を使う頻度がとても多いようです。
動物園では「嗅覚」「聴覚」、機会があれば「触覚」も使います。
ただ見ているだけの行為はともすれば疎外感に繋がりますが、
しかし水族館で見るものは同じ命のある生き物。
ふれあえない、人間の言葉が判らない、
けれど同じ生き物同士ですがら、必至になって
心の目で見ようとします。
そういったいつも使われていない部分をつかう事が、
本当はとても大切な事なのです。
頭ではなく心の目で見ようとすること。
私的には、この部分を一番大事にしたいと思っています。

しかし、知識や経験や体験の無い人間が一方的に想像して
いるのにも限界はあります。
それを正しい認識に知識にするのが「キャプション」ですが、
やはり体験にはかないません。
そのためでしょう、最近は「タッチ水槽」の設置が増えています。

しかし、そのタッチ水槽にもマイナス面があります。
それは生き物を触る側に問題があるのですが、とにかくマナ−が
悪すぎるのだそうです。
最近行った水族館でもお聞きしたのですが、
魚を力任せに握るような人がとても多く、しかもそれが大人だと
言うので驚いたのですが、もっとひどい人になると傘で突いたりする
人まで居るのだそうです。
飼育側としては、タッチ水槽に入っている生き物も、他の生き物も
全て同じ飼育動物です。
水族館の閉館後にタッチ水槽の生き物に「今日も一日ご苦労様」と
言いながら、言い知れぬジレンマを抱えつつエサを与える
飼育員さん達が居ます。
寿司屋の「いけす」になれた日本人的感覚なのか、はたまた
食べ物と展示動物の区別が付かない程バカなのか。
ちゃんとタッチ水槽には「指先で軽く触れて下さい」って
書かれてあるのにね。
やっぱり、「魚の皮膚は人間の手の温度で火傷するぐらい
デリケ−トなものです」って事も
書かなきゃダメなのかもしれません。

私は海のそばで育ち、趣味で魚釣をし、魚もフツ−にさばきます。
でも、最近は食料としての魚も触れない大人が
増えているようです。
やっぱりいろんな意味でタッチ水槽は必要かもしれません。
海に囲まれた日本、海と共に生きてきたはずなのに、気づくと
すっかり特別な存在になっているようです。
「食う・見る・触る(知る)」のバランスをとりに、あなたも
水族館に行きませんか?